多数決は民主主義ではないのか?コンサセンス型の問題点が浮き彫りに。

先日安保法改正に関する公聴会で反対側の弁護士が
「この流れは多数決主義であり民主主義じゃない」
という下りの発言をして、ハァ?と思った人も多いと思われます。

現在の安保改正に関する反対運動の多数は、民主・共産の反自民活動の一環である「戦争法案」とまるでお門違いの煽動が独り歩きし、ネガティブなネタ好きのマスゴミが助長、不安感を煽られた人たちがパニック的に動いてるのが多数で、あとはお祭り騒ぎ好きと自己陶酔型(国に反する行動をする自分に酔いしれる)少数。

反対派の言動の大半が感情的なもの多数で、理詰めで反論している人が皆無に等しいのも今回の騒動の特徴でちょっと辟易しちゃいます。

…なんですが、今回はここではなくこの民主主義について。

現代の民主主義には2タイプあって、

  • ウエストミンスターモデル(イギリス議会をモデルにした多数決型民主主義)
  • コンセンサスモデル(ヨーロッパの小国で主に採用されていたいわゆる円卓会議)

なんだそうです。
(参考:Wikipedia)

で、現代日本の議会政治は原則として多数決式を採用しているのでウエストミンスターモデルということになります。
この多数決型の欠点は反対意見があっても多数派が議席を占めてしまうとマイノリティなものとして処理されてしまうこと。なので反感を生みやすい点です。
(嫌なら自分たちが選挙で国民の支持を受けて多数派になってしまえば良いという単純な話です)

なので、各委員会などではコンサセンスモデル的な事もやって、意見を調整する…なんてことをやるわけです。ところが最近の委員会では揚げ足取りやスキャンダルで相手を攻め立て失脚させることを目的に抵抗運動を行うって下品極まりないやり方が主流で、とてもコンサセンス得るとは言いがたく、落とし所のないコンサセンス型では結論が出ない(時間稼ぎでしかない)ため、多数決で決着をつける話になります。
※この場合の多数決は反政府主義者(政権が変わっても常に反論しかしない者)が多用する強行採決とは言いません。

結局のところ安保改正についても、野党側や反対派学術関係者(9条信奉者)のレベルが低すぎて議論どころじゃないので、多数決で決めちゃうことになりそうです。

では、なぜ速度を持って対応しなければならない安保関連改正法案のコンサセンスがまともに機能しないのか?
議会ではなく、ビジネスのネタですがいい例示がありましたので、記事を紹介します。

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第3回 日本の企業に多いコンセンサス重視型会議の致命的な欠点とは (1/4ページ) - ダメ会議を撲滅する処方箋とは : 日経Bizアカデミー

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この記事中ポイントは2つ

・私は、決してこれがダメだと言っているのではありません。問題は、スピードが重視される現在のビジネス環境の中では、この方法は機能しない場合が多いということです。
・コンセンサスを重視することは、イノベーション(革新)を損なうこと

 まさに保守系保守と革新系保守の違いとも言うべき内容で、ここ10年で急速に変わりつつある東シナ海南シナ海における中国の台頭に、スピードをもって当たらなくてはならないはずが、沖縄の基地問題も含めて稚拙遅速な状況が民主政権下では続きました。

この現代日本において、自ら他国と戦端を開くメリットは全くありません。
蛮人が自分のこめかみに銃をつきつけられて撃鉄を起こされた状態で酒を飲もう言って銃を下ろすと思っているのでしょうか?
まず行動を起こそうと思わせる雰囲気を作ってはいけません、それが真の抑止力です。
軍事力の展開はおまけです、軍事侵攻すればいくら大国と言えども世界を敵に回しますが、やれそうな雰囲気を日本が作ってしまってはダメなのです。

今まさに論語に語源*1を持つ「機を見るに敏」が求められていると思います。

 

*1:子曰、君子欲訥於言、而敏於行。
 子曰く、君子は言(こと)に訥(とつ)にして、行いに敏(びん)ならんことを欲す。
 孔子は「有言実行」を愛したが、基本的に雄弁に巧妙な言葉を操る人よりも、思想や意志を素早く行動にして表し機敏に実践する人のほうが、より君子的であると考えていた。(引用元)『論語 里仁篇』の書き下し文と現代語訳:3